
社会の固定観念と乱心の現状
(今を生きれなくなった理由)
生命力・自然治癒力が渋滞して空回りしている。今を生きれなくなった現代人の理由とその解決方法を詳しく解説。
もくじ
・マインドフルネス瞑想や自己啓発セミナー、コーチングなど、「何かの為に生きる」を強化しようという方法も薬で誤魔化すことを補助
・カウンセリングも結局は社会に適応させるために患者を歪んだ認知と決めつけて矯正しようとしている
・健康も自然治癒力を無視して、「この基準値に合わせるために」といって本当は必要だからそうなっているかもしれないものを無理やり合わせようとしている
・少しでもいいから立ち止まって、身体と呼吸を整えて、頭から離れるのが根本的な方向
・でも、何かの為に生きることが当たり前の人はそれを許したがりません
・「今を大切に生きる」だけで十分満足できないのは、もの足りない心が頭にしがみついてしまっているから
現代社会が形作る固定観念
私たちは幼少期から、学校や家庭、メディア、さまざまな社会的な枠組みの中で「こうあるべきだ」という価値観やルールを学びます。
これらは、社会に生きる上での基盤として大切な側面もありますが、同時に多くの人が無意識のうちにその枠に囚われ、自分自身の自然な感覚や本来の生き方から遠ざかってしまう原因にもなります。
現代社会は、経済的成功や社会的地位、特定の役割を果たすことを「生きる目的」として無意識に強く押し付けています。
これにより、人々は「何かのために生きなければならない」という固定観念に囚われ、内面的な自然な流れや生命本来の力を無視してしまいます。

「今を大切に生きる」ことが見失われている現代社会の例
1. 仕事のために生きる生活
多くの人が「将来の成功」や「出世」のために、今この瞬間を犠牲にして働いている。家族との時間や自分の健康を後回しにし、気がついたら定年や病気。そこから「人生をどう楽しんだらいいかわからない」と後悔する。2. 子どもの未来のために親が犠牲になる
子どもを良い大学に入れるために必死でお金を稼ぎ、習い事を詰め込み、子ども自身も「将来のために」と勉強漬け。だが、その過程で親子の本当のふれあいや、子どもが今を楽しむ時間が失われている。3. 健康のために不健康な生活をする
「長生きするため」にサプリメントや健康食品、無理な食事制限や過度な健診と薬の服用を続けるが、そのストレスで体調を崩し、本来の目的を見失う。今の身体の声を無視して、「健康のために」不健康になる矛盾。4. 旅行やイベントの写真撮影に夢中になる
素晴らしい景色を目の前にしても、スマホで撮影しSNSに投稿することに必死で、その場を五感で楽しめていない。気がつけば、思い出よりも「いいね!」の数に囚われている。5. 退職後のために今を我慢する
「老後のために」と貯金を優先し、やりたいことをすべて後回しして、退職を迎えたときには体力も気力もなくなり、こんどは病気の心配、「あのとき楽しんでおけばよかったのでは」と後悔する。6. スマホに夢中で今を忘れる
家族や友達と食事をしても、スマホのコンテンツやゲームに夢中で、目の前の人との会話や雰囲気に楽しめない。挙句の果てには歩きスマホで目の前は人なのか物なのかわかっていない状態でぶつかりそうになる。太陽の光や風のささやき、雨の匂いなどを感じる暇もない。結論
現代は、「過去や未来のために今を犠牲にする」ことが当たり前になりすぎている。でも本当は、過去は変えられないし、未来なんて誰にもわからない。死ぬ瞬間に「本当に生きた」と思えるのは、過去を後悔し続けたり、未来のために頑張った人ではなく、「今この瞬間を大切に生きた人」 なのかもしれない。子どもに「何かのために生きる」ことを強要する社会
1. 将来のために勉強や習い事を押し付ける
「いい大学に行くのはあたなの将来のため」「将来苦労するから今は我慢しなさい」と言われ、子どもは毎日塾や宿題、習い事に追われる。本人が好きで学ぶのではなく、未来の成功のために「今を犠牲にする」ことを強いられる。2. 「いい子」でいることを求める
「我慢をするお約束したよね」「親の言うことを聞きなさい」と、子どもの感情や欲求を抑えさせる。結果として、自分の本音よりも「大人の顔色を伺い、大人に認められるために生きる」ことが当たり前になる。3. 夢や好きなことを諦めさせる
「そんな仕事で食べていけるの?」「もっと真面目に現実的なことを考えなさい」と、子どもがやりたいことを否定する。将来の安定のために、今の情熱を捨てるように仕向ける。4. 兄弟や親のために生きさせる
「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」「お母さんは大変なんだから困らせないで」と、子供に大人の理解を強要し家庭内の役割を押し付ける。本来の自分を抑えて「家族のために生きる」ことが正しいと刷り込まれる。5.「立派な大人になるため」に厳しくする
「もっと頑張って社会で通用する人間になってね」「遊んでる暇があったら宿題したら」と、子どもが純粋に楽しむ時間を奪う。目的のない遊びや無駄な時間を許さず、「役に立つこと」を優先させる。結果として
こうした教育を受けた子どもは、「今この瞬間を楽しむこと」に罪悪感を覚えるようになる。そして、大人になっても「何かのために生きなければならない」と思い込み、本当に自分が何をしたいのか分からないまま生きることになる。子供のころの元気(元の気)
子供の頃は男子も女子も、金持ちも貧乏も、勉強できる子もできない子も、分け隔てなく夢中になって精一杯遊んで、笑って、泣いて、食べて、疲れたらグッスリ寝た。そういう感覚を次第に忘れていった。
子どもの頃は、誰もが「今この瞬間」に全力だった。
走るときは雨の匂いや風を感じて夢中で走り、笑うときはお腹が痛くなるほど笑い、泣くときは世界が終わるように泣いていた。
お腹が空いたら無心で食べ、疲れたら気づけば寝ていた。
そこに「将来のため」なんて計算はなかったし、ただ生きることそのものが充実していた。
でも成長するにつれて、「いい学校に行くために」「立派な大人になるために」「失敗しないように」「あの子とは付き合うな」「あの子のようになるな」「あの子のようになれ」「好きなことしなさい、でもできれば勝ち組になって」と言われ、
気づけば「今」よりも「未来」を気にするようになる。
そして、無邪気に夢中になれたあの感覚は、
「それは子どもの頃の話」と切り捨てられ、大人になる頃にはほとんど忘れてしまう。
本当は、あの頃と同じように 「今を生きる」ことが一番の幸せなのに。
固定観念を教育という名のもとに押し付けられて見失う元の気
子どもは本来、「今」に生きている存在。
でも、大人は「教育」という名のもとに、未来のために今を犠牲にすることを教え込む。
「将来のために勉強しなさい」
「社会に出たら通用しないよ」
「遊んでばかりいたらダメな人間になる」
「朝起きれなくても気合で学校いけば慣れてくる」
こうして、子どもは本来の生き方(今を感じること)を否定される。
その結果、ストレスや違和感を抱えながら生きるようになり、
心や体に不調をきたす子が増えている。
大人たちは、「子どものため」と言いながら、実は「自分が安心するため」に未来を押し付けているのでは?
もしそうなら、それこそが子どもたちの自然な生き方を奪い、具合を悪くしている本当の原因なのかもしれない。
結局は大人も病んでしまっているけどそれすら気づけない社会
大人も病んでしまっている。
子どもの頃は「今」に夢中になれていたのに、成長するにつれて「未来のために生きることが正しい」と刷り込まれた結果、自分自身の感覚を失ってしまった。
だから、大人になったときには、「本当の自分が何をしたいのか」「何が楽しいのか」「どう生きれば幸せなのか」「何のために生きているのか」すらわからないまま、目の前の現実社会の生活という名のもとに今を犠牲にして生きてしまっている。
それでも社会は「現実はあまくない」「大人になろう」「責任感を持て生きよう」「勝ち組になろう」「金融リテラシーを学ぼう」と求める。
自分の本音を見失いながらも、
「仕事のために」「家族のために」「老後のために」と生きることを強いられ、
違和感やストレスを抱えながらも、「自分を犠牲にして生きることを美徳として」「当たり前」と思い込もうとする。
そして体調が悪くなっても、心が疲れても、それが異常だと気づけない。
「みんな頑張ってるから」「みんなのためだから」「大人はそういうもの」と言い聞かせて、自分を無視して無理を続ける。
でも、その無理が限界に達したとき、
ある人はうつ病になり、
ある人は突然の体調不良に襲われ、
ある人は怒りや不安、パニック症状を抑えられなくなる。
それなのに、原因が「社会の歪んだ価値観」そのものにあるとは気づかず、
「自分が弱いからだ」「病気が悪いんだ」「みんなに申し訳ない」「もっと努力しなければ」と思い込んでしまう。
そして、同じ価値観を次の世代の子どもたちにも押し付けてしまう。
こうして、苦しみは世代を超えて連鎖していく。
長期的には遺伝子すら書き換わってしまうほどに、全力疾走の人生フルマラソン大会に溺れていることに気づかないまま。
本当は、問題なのは「自分」じゃなくて「社会の価値観」かもしれないのに。
薬で誤魔化して突っ走り続けて破綻する方向に突っ走る
多くの人は、「何かがおかしい」と感じながらも止まれない。
体が疲れても、「もっと頑張らなきゃ」と無理をする
心が悲鳴を上げても、「みんな我慢してる」と抑え込む
本当は幸せじゃないのに、「みんなそうだし」「もっと酷い人もいるし」「自分はまだマシなほう」「これが普通」と疲れた笑顔で言い聞かせる
でも、その無理が限界に達すると、心や体がSOSを出し始める。
不眠、頭痛、動悸、うつ、不安、イライラ、無気力……。
それでも、社会は「痛くなったらすぐこれを飲めば治まるよ」「病院に行って検査して薬を飲めば安心」「とりあえずがんばろう」と、症状を誤魔化す方法ばかりを与える。
そして、薬で感覚を鈍らせながら 突っ走り続けた結果、ある日突然、完全に壊れる。
過労死するまで働き続ける
心が折れて動けなくなる
人間関係が崩壊し、人生が破綻する
それでも、社会は「一人じゃないよ頑張ろう」「少し休めばまたコントロールできるよ」「辛かったら相談して」と言うだけで、結局はまた薬にたどり着くだけ。
でも、本当に壊れた人は「頑張る」どころか、もう立ち上がる力すら残っていない。
そして、また次の世代も同じ道をたどる。
苦しんでいる大人が、気づかないまま子どもたちにも同じ価値観を押し付ける。
立ち上がれなくなった子供が病院に連れていかれ、「精神病患者の飲む、現実を麻痺させるような薬を飲まされる」
もしくは、難しい顔をされながら「漢方薬を飲んで様子を見よう」といって、根本的な原因は、本当は診るほうも診られるほうもわからないまま、延々と医療ビジネスの固定客としての面を優先されてしまうような現実。
だってそうでしょう。もし真実に気づいているなら、まともな人間なら、原因も分からないまま大人に都合のいい病名を付けて「薬を飲んで様子を見ましょう」なんていえないのではないですか。
まともな感覚の人のほうが病人にしたてあげられて問題視される社会、純粋であればあるほど絶望して死にたくなるのは当然ではないですか。
こうして、社会全体が本当の意味で病んでいく。
でも、問題は「個人が弱いこと」ではない。
問題なのは、そもそも「人間らしく生きること」を許さなくなってしまった利益追求の社会そのもの。
マインドフルネス瞑想や自己啓発セミナー、コーチングなど、「何かの為に生きる」を強化しようという方法も薬で誤魔化すことを補助
マインドフルネス瞑想、自己啓発セミナー、コーチングなども、多くの場合「今を生きる」どころか、「もっと成果を出すために」利用されている。
本来、瞑想は「今ここにあること」を大切にするためのものだったはず。
でも現代では、それすらも「より生産的になるため」「仕事のパフォーマンスを上げるため」という方向にねじ曲げられてしまっている。
マインドフルネス瞑想をして「集中力を高めてもっと効率を上げよう」
コーチングを受けて「目標を明確にしてもっと努力しよう」
自己啓発で「成功するための法則を学んで成長し続けよう」
これらは結局、「今」に戻るどころか「過去に執着して未来のために、もっと頑張る」という圧力を強化しているだけ。
つまり、薬が身体の異常を抑えて無理に動かし続けるのと同じように、
マインドフルネスや自己啓発が心の違和感を誤魔化して、突っ走らせる補助になっている。
本当の意味での「今を生きる」ためではなく、
「社会に適応するため」「もっと成果を出すため」に利用されているから、
結局、どこかで破綻する。
「何かのために」ではなく、「今ここにあることをただ感じる」ことが、本当の意味での癒しや回復につながるのに、それを忘れさせる方向に誘導されている。
カウンセリングも結局は社会に適応させるために患者を歪んだ認知と決めつけて矯正しようとしている
現代のカウンセリングや心理療法の多くは、クライアントを本来の自分に戻すのではなく、「社会に適応させること」を目的としている場合が多い。
例えば、
「会社に行けなくなった」→ 認知の歪みを直しましょう(でも、本当は会社の方が異常では?)
「やる気が出ない」→ 目標設定を見直して達成感を得ましょう(でも、本当は休むべきでは?)
「生きづらい」→ もっとポジティブに考えましょう(でも、本当に変えるべきは社会の方では?)
こうして、本当は社会の側が歪んでいるのに、個人の問題にすり替えられる。
つまり、カウンセリングが「社会の歪み」を直すのではなく、患者を「歪んだ社会に適応させる道具」になってしまっていることが多い。
もちろん、すべてのカウンセリングがそうではないかもしれない、個人を救うためのものもあるのかもしれない。
でも、一般的な心理学の枠組みでは「社会は正常で、個人の認知が歪んでいる」という前提があることが問題。
だから、
「あなたの考え方を変えれば生きやすくなる」ではなく、
「あなたが違和感を感じるのは、本当に大切な感覚かもしれない」という方向のカウンセリングが必要なのでは?
本当の癒しとは、
「無理に社会に適応すること」ではなく、「自分の本来の感覚を取り戻すこと」ではないでしょうか。
健康も自然治癒力を無視して、「この基準値に合わせるために」といって、本当は必要だからそうなっているかもしれないものを無理やり合わせようとしている
現代の「健康」の概念自体が、人間本来の自然な働きを無視して、無理やり基準に合わせる方向に歪められている。
例えば、
血圧や血糖値 → 「この基準値を超えたら病気」と決めつけ、薬で下げようとする。
→ でも、本当はその人にとって必要な状態かもしれない。
熱や炎症 → 「下げなければいけない」と薬で抑える。
→ でも、本来は身体が自己治癒のために起こしている反応かもしれない。
コレステロール → 「高すぎると危険」と言われ薬で抑える。
→ でも、実は体を守るために増えている可能性もある。
現代医療は、「この数値なら健康」「この数値なら病気」と機械的に決めつけ、人間の身体が本来持っている自然治癒力を無視している。
でも、身体は常に 必要だからこそ、その状態になっている可能性がある。
それを、統計という名のもとに、「基準値に合わせるために」と薬や治療で、誰かが操作したかもしれない外部基準に、唯一無二の心身を、無理に押し込めようとするから、
本来のバランスを崩す
薬の副作用で別の問題が起きる
一時的に数値を下げても、根本原因は解決しない
根本原因な解決がないまま延々と心身が傷つけられる
という悪循環が生まれる。
健康とは、本来「基準値に合わせること」ではなく、「自分の心身の声を聴き、その声に従い、本来のバランスを取り戻す生き方をすること」ではないか?
(どこかの家庭や社会のように)聞く耳をもたずに、機械的に無理やりコントロールするのではなく、自然治癒力を引き出す方向に意識を向けることが、本当の健康につながるのではないでしょうか。
でも、それすら許されない社会や病院はいったいだれの味方なのでしょう。
少しでもいいから立ち止まって、身体と呼吸を整えて、頭から離れるのが根本的な方向
少しでも立ち止まり、「今ここ」に戻ることが根本的な解決策になる。
現代社会は、常に「もっと先へ」と急かし、頭の中で未来ばかり考えさせる。
もしくは、
常に「あのときああすればよかった」と後悔し、頭の中で過去ばかり考えさせる。
「心ここにあらず・ご飯をおいしく感じられない・今を大切に生きられない」「呼吸が乱れる」「呼吸は自律神経と連動している」「やがて病気が現れる」・・・
でも、本当に大切なのは、今ここにある身体と呼吸。
だからこそ、
立ち止まる
身体の感覚を取り戻す
呼吸を整える
これが、「頭」から離れ、「今を生きる」ための第一歩になる。
身体の声を聴き、呼吸を整えることで、本当の、元々の自分の感覚が戻ってくる。
そうすることが結果的に、頭で考えすぎるのではなく、生きることそのものを感じることができる方向。
それは、子どもの頃のように、自然に「今」を生きていた感覚を取り戻すことでもある。
そして、その感覚を少しずつ思い出していけば、現代社会のズレてしまった価値観から解放される道が見えてくる。
だからこそ、まずは立ち止まることが大事。
「もっと頑張らなきゃ」と思ったときこそ、考えることを休憩して、身体の声を聴き、呼吸を整える。
単純なそれを繰り返すだけで、見えてくる道が変わるかもしれない。
何かの為に生きなくてもいいんだって思い出すには?
現代社会は、「目的」や「意味」を求め続けることで成り立っている。
「何かのために」「誰かのために」「未来のために」生きることが当たり前になり、ただ存在することの価値を忘れてしまう。
でも、本来生きること自体に理由なんていらない。
子どもが夢中で遊ぶとき、何かのためにやっているわけじゃない。
風が吹いたら気持ちよくて、ただ感じるままに走る。
お腹がすいたら食べ、おいしいと実感し、疲れたら寝る。
その瞬間を生きること自体が、すでに「完璧」だった。
だから、「何かのために生きなきゃ」と思ったら、一度立ち止まってみる。
深く息を吸って、吐く→ ただ「生きている」ことを感じる
空を見上げる、風を感じる→ 何のためでもなく、ただ感じる
好きなものを味わって食べる → 理由はいらない、「おいしい」だけで十分
身体を動かしてみる→ 何のためでもなく、ただ動くことを楽しむ
こうしたシンプルな行為が、「なにものにもならなくていい」「今、生きているだけで十分だった」 という感覚を思い出させてくれる。
そして、その感覚を少しずつ取り戻していけば、「何かのため」ではなく、「今を生きる」ことそのものが、本当の豊かさだったと思い出せるはず。
でも、何かの為に生きることが当たり前の人はそれを許したがりません
「何かのために生きること」が当たり前になっている社会では、それを外れることが「異常」と見なされがちです。
周囲の人々が「目的」や「意味」を追い求める中で、あなたが「今を生きる」と決めると、それが不安や恐れを引き起こすことがあります。
特に、社会が「結果」を重視し、常に未来に向けて動き続ける価値観を押し付けている場合、
周囲はその価値観に従っていないあなたを引き戻そうとする。
「もっと頑張らないと未来が不安だよ」
「そんなのんきなことでいいの?何のために生きてるの?」
「遊んでばかりじゃダメだよ、みんな頑張ってるのよ」
こうした言葉が投げかけられることも多いでしょう。
そのとき、自分の生き方を貫こうとするあなたを、無意識にでも引き戻そうとするのは、周囲の人々が自分自身の生き方を無意識に疑っているからかもしれません。
彼らは、目的や意味を持たずに生きることが怖いと感じているのです。
「何かのために生きる」と信じて生きてきからこそ、これまでの人生を疑って否定するのが怖いのです。
最初は理解されなくても、あなたが「今を生きることそのものを豊かに感じて生きる生き方」を続けることで、少しずつ周囲にも変化が広がっていくかもしれません。
周囲にも「今を大切に生きる」可能性を見せることができるかもしれません。
あなたが自分本来の「今を大切に生きる生き方」を貫くこと自体が、今苦しんで何かがおかしいのではないかと迷い続けている人々が、気づく力になる可能性があるということを忘れないでください。
「今を大切に生きる」だけで十分満足できないのは、もの足りない心が頭にしがみついてしまっているから
「今を大切に生きるだけでは十分に満足できないのは、利益追求社会が生んだもの足りない心(未来や過去への執着・乱心)(もっともっとの心)が頭にしがみついてしまっているからかもしれません。
その、知らないうちに頭の中でかついでしまって、普段当たり前になってしまっている執着・乱心の思考(何々のために・あの時こうするべきだった)という重い荷物を一旦おろして、手放して、静かに身体と呼吸だけに集中し、整えて、大自然のリズムに戻る習慣をつけるのです。
結果、「今を大切に生きるだけで十分満足する感覚」がよみがえる方向です。
これが、生命力・自然治癒力を取り戻す方向です。
根本療法です。
実際に自分で実感する以外にできません。
「これができないままの治療はすべて対症療法」で、生命力・自然治癒力を押し歪める方向にはたらくことになります。
注意するのは、整身・整息で、結果的に整心ということです。
整心になるための整身・整息は何かのためにする行為なので乱心です。
心を整えたい、ああなりたい、こうないたいという未来への執着のための整身・整息ではありません。
何のために生きなくてもいいのです、なんにもならない整身・整息なのです。
ただ、整身・整息あるのみです。
「現代医療ビジネス」や「宗教ビジネス」はこの社会の矛盾をついて、「ストレスが悪い」「心を整えるために、症状を抑えるために、病気を治すために、真実にたどり着くために」といって、外部の依存対象を彼らの都合のいい対象(別の形の執着)に変えることを迫ってきますが、
そうではありません。
依存対象は外部ではなく、すでに自分の中にもち合わせているのです。
現代社会のもの足りない思い(執着)がそれを気づかないようにしてしまっているだけなのです。
外部依存をしている限りは不満足、不安、怒り、不調はつづきます。
なんにもならない整身・整息を大切に行じることができる、かけがえのない今に感謝、満足なのです。
その結果、自然に整心が訪れてくる方向ですがそれが目的ではありません。
整身(今を大切に)→整息(生きる)→結果、整心(元気)
これが、
乱心(執着)→乱息(自律神経の乱れ)→結果、乱身(病気)から、結果的に元の気(元気)にもどる方向です。
結果的に、本来流れている生命力・自然治癒力が整う方向なのです。
生命力・自然治癒力への帰り道です。
歩くのはあなたです。
整身(今を大切に)・整息(生きる)
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