
死を想うことは深く生きる道への扉
死を想うことは、今を深く生きることにつながっていることについて詳しく解説。
もくじ
「死の絶望」は「人生の輝き」の扉
自殺願望のある人、重い病の診断を受けた人。
事故で死にかけた人、パニックになって死ぬかもしれないと実感した人。
彼らが直面しているのは、ただの「死」ではありません。
それは、自分の外側から与えられた「死のイメージ」に対する絶望です。
「この社会で生きられない私には価値がない」
「死んでしまうなら、生きていた意味がない」
「何のために生きているんだろう」
そんな風に思い詰めてしまうのは、社会の価値観に照らし合わせて
“生”の意味を計ろうとしている、**外部依存の頭(思考)**によるものです。
けれども、彼らが味わっている「死の気配」そのものは、
実は人が本気で「生と死」に向き合い始めたときにのみ感じる、
真実に触れる入り口でもあります。

死の実感は、生を見直す機会
死を感じるということは、裏を返せば、
「生とは何か」を本気で問うているということです。
それは、日々の忙しさや義務感の中で忘れ去られがちな、
本当の意味で“生きる”ということを見直す機会。
整身・整息は、まさにその扉を開いてくれます。
整身・整息は生と死の絶望を超える道
◎ 整身:身体を今ここに戻すこと
深い絶望の中にいるとき、身体は重く、縮こまり、あるいは逆に力なく抜け落ちたようになります。
思考は未来や過去にさまよい、「今」からどんどん離れていきます。
整身とは、「今、この瞬間の身体」に意識を戻すことです。
どんな姿勢であれ、どんな状態であれ、「今、ここにいる」ことを取り戻すこと。
それは、「私はまだ生きている」という根源的な感覚と再びつながることです。
◎ 整息:呼吸を感じることは、生きているということ
思考にとらわれているとき、呼吸は浅く、止まりがちになります。逆に、静かに深い呼吸に戻ると、思考が静まり、感覚が戻ってきます。
整息とは、ただ「吸う」「吐く」という一呼吸に丁寧に向き合うこと。
呼吸は「いま生きている」という事実そのものです。
それを感じることは、「今この命は、私の中に確かにある」と確認すること。
死の絶望が、今に希望を感じはじめる道
整身・整息を通して、
死への絶望はやがて、「今を生きる力」へと転じていきます。
死とは恐れるものではなく、
実体のないイメージとして外部から植えつけられてきた幻想だったと、
身体と呼吸を通して、だんだんと感じていけるようになるのです。
死と生は表裏一体
生と死は、別々ではなく、ひとつながりのもの。
生があるから死があり、死があるから生が輝く。
整身・整息によって、
「生きることの本質」に触れたとき、
私たちは、今をしっかりと生きる力を取り戻していきます。
「いのちの真実」
死を想うことは、けっして間違いでも、弱さでもありません。
それは、生を問うことです。
整身・整息は、心と身体と呼吸を通して、
「いのちの真実」 に気づいていく、静かで力強い道です。
「死にたい」と思ったその瞬間から、
「本当は、どう生きたかったのか」が問い直され始めています。
どうか、身体に戻り、呼吸に戻ってください。
その先にある「今」の中にこそ、まだ知らない光が宿っています。
それが、あなたが本当に生きたかった真実の生き方かもしれません。
整身(今を大切に)・整息(かけがえのない今を生きる)
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